ハチの標本の作り方
はじめに・・・
私は、ハチの標本の作り方についての、一般向けの良い紹介記事を知りません。その為か、ハチを研究している人や、趣味でハチを集めている人以外の方がハチの標本の正しい作成方法を知らず、同定の際に非常に不便な標本を知らないうちに作ってしまっている例に遭遇することが何度かありました。ここでは、ハチをこれからやる人や、一般の方に紹介する目的も兼ねて、ここではハチの処理と標本作成の方法について紹介します。
最初に断っておきますが、ここで紹介する方法は、私が知る方法、他の研究者の方が使用しており、私も採用している方法、そして私自身の考えた方法からなりますが、ここで紹介した方法が必ずしも最良ではないかもしれないこと、そして、他にもきっと良い方法があるという事を念頭において読んでください。
(渡辺 恭平)
・標本作製器具の入手法
標本作製の為の器具は、昆虫器具の専門店で購入できます。以下は主な昆虫標本関係の器具を販売しているお店です。
1) 昆虫文献六本脚
2) むし社
3) 志賀昆虫普及社(志賀の製品は上記2つの店でも購入できます)
他に100円ショップや東急ハンズ、各種ホームセンターをうろついていると様々な道具を見つけることができます。
・ハチの処理のしかた
ハチを採集したら、薬品で処理をします¹⁾。色々な薬品が使用されていますが、ハチでは酢酸エチルか青酸カリが主流です²⁾。後者は、危険な薬品であり、入手も一般の人には難しいので、ここでは酢酸エチルを使用する処理方法を紹介します。ちなみに、亜硫酸ガスを使用する人もいるようですが、使用量を間違えると、色が明るくなりすぎ、脆くなるのに加え、人体にも良くないので、私は使用をお勧めしません。
酢酸エチルは、毒ビンに入れて使用しますが、これについては各人各様で、いろいろな方法があります。ここでは、管理人が普段使用している容器を紹介します。
まず、これのいいところは・・・
1) 軽い、割れない、水に浮く(毒ビンは重い、割れる、川に落としたら沈む)
2) 太さがちょうど良く、リュックのわきにあるペットボトルさしに入れることが出来る
3) 掃除しやすく、ボトルの中のハチを回収しやすい
4) 容器の形状から、一度入れたハチが逃げにくい
5) ガラスの毒ビンに比べ中が蒸れにくい
6) あとで紹介する薬品カートリッジのおかげで、薬品の交換と補充、携帯が楽
ある程度の大きさのハエ、シリアゲムシやガガンボモドキ、そして多くの甲虫にも使えます。
(材料)
・図に示した様なボトル(東急ハンズなどで購入できる)×1
・濾紙(底にはまる大きさのもの、私は7cm径のものを使用している)×1 or 2枚
・アシストチューブ(ふたを閉められる小型の容器なら何でも良い)×2(予備を除く)
・テッシュペーパー 中に敷くものと、栓として使うものを適量
(作り方)
本体:
1) ボトルの底に濾紙をひく(なければキッチンタオルなどでも良い、つまりは吸湿の為)
2) カートリッジを入れる(小型のハチなどでは毒の量を減らす)
3) テッシュを1枚、中央付近を窪ませた形で入れる(窪んだ場所にハチが溜まり、中が蒸れてしまった際に、壁にハチがくっついてしまうのを防ぐ)
4) くしゃくしゃにしたテッシュを入れる
5) 出来上がり!
カートリッジ:
1) アシストチューブの半分程度、酢酸エチルを入れる
2) 使用時はテッシュで作った栓を詰める(つまりトイレの消臭剤の原理です)
3) ボトルに入れる
カートリッジは、あらかじめチューブの1/2程度酢酸エチルを入れたのものを、消耗すると思われる量作成しておき、薬品がなくなってきたらテッシュの栓を移して交換します。
網 の中を飛んでいて、吸虫管で吸うことの出来ないハチは、ボトルの小口に追い込みます³⁾、中に入ったハチは直ぐ飛びますが、口が狭いので、逃げ出すことが できません。中が蒸れてきた際は、大きな蓋を開けてふき取る。採集地を移動する際は、三角紙に移して、ペンでデータをメモしておきます。中が汚れてきた ら、テッシュと濾紙を取り出して、掃除し、紙を交換する。
遠征の際は、あらかじめカートリッジを幾つか作っておくと、非常に便利です。長時間経過すると、中の薬品が若干減るので、長期遠征の際は、毒をやや多めに入れておくと良いでしょう。
処理したハチは、三角紙もしくは70%アルコール(DNAはなるべく早めに毒ビンから100%アルコールに移す)に入れて保管した後(或いは帰宅後にそのまま)、洗浄に移ります。
¹⁾ 吸虫管を使用して採集したハチは、冷却スプレー(香料が入っていない、スポーツ用の単純に冷却することを目的としたものが良い)を、なるべく直接かからないように噴射し、ハチをおとなしくさせると、毒ビンに入れやすくなります。
²⁾ アルコールに直接ハチを放り込む方法もあるみたいです。この方法は、ハチの体表に汚れがつきにくい、DNAが採取できる(アルコール濃度による)、乾燥による破損のリスクの軽減などのメリットがあります。
³⁾ 網に入ってパニックになったハチは一目散に明るい方向(すなわち太陽の方向)に向かって逃げるので、採集の際に意識すると採集しやすい(自分の背中の方向に太陽があると、顔に向かって一斉に蜂が飛んできます)。
(追記)DNAを調べるためのサンプルは死後体内の水分で急速にDNAが劣化するため、100%アルコールに直接入れて処理するのがベターです。しかしながら、脱水される為標本を作る際は脆さからくる破損が問題となります(複数あるときは双方の処理法を用いると良い)。プロピレングリコール(水でうすめていないもの)もまた、DNA抽出が可能ですが、トラップ回収後溶液を新しいものに入れ替えないと虫体から染み出た水分で多少ともDNAが劣化します。
・採集してきたハチの軟化・洗浄
(トラップで回収した液浸のハチは洗浄からはじめる)
採集してきたハチは、直ぐに標本にしない場合は、三角紙かアルコールにいれて保存します。その際は虫害と、カビに気をつけてください。また、直ぐに標本にする場合は洗浄の項に移動してください。
1)軟化
三角紙に入れてある乾燥したハチは、三角紙ごと軟化します。タッパーの中に、三角紙が直接濡れないように容器の中に台を置き、台の上に三角紙を載せます。台の下に、お湯を注ぎ、蓋をして30分から5時間程度蒸らします。大型のハチはさめた後、更に冷蔵庫にいれて一晩寝かせると、ほぼ完全に軟化出来ます。軟化を完全にするコツとして、お湯を注ぐ前のタッパーの水気を完全に切ること、そして、サンプルの包みに脱脂綿が含まれている場合は軟化時間を増やすことです。
針に刺した状態、または貼ってある標本は小さなサンプル管の底にペフ板をしっかりとつめ、そこに標本を固定し、お湯を注いで半日程度軟化します。大型種はお湯にアルコールを少し加え、一晩軟化します。
2)洗浄
もし、採集したハチの翅が綺麗に伸びてない場合や、体が汚れている場合は、洗浄を行います。
70%アルコールをシャーレにいれ、ピンセットと筆で丁寧に洗浄します。小型種の場合はビノキュラー下で行うとやりやすいです。特に、同定の難しい分類群においては洗浄をしないと、彫刻や点刻が観察できず、同定の際に苦労します。
アルコールから上げたハチは、テッシュの上で、翅を伸ばし(少しアルコールを飛ばしてからのほうがやりやすい)、水気を切ります。翅を伸ばす際は、綿棒か、先の丸い棒などで伸ばします。毛が多いハチ(ハナバチなど)は、エアブラシで風を送り、毛を立たせます。
図.洗浄の手順(写真の種はトウヨウマルヒメバチ Hadrodactylus orientalis)
洗浄後は、展足に移ります。
・ハチの標本作成
軟化・洗浄したハチは、同定や観察をしやすいように展足します。ちなみに、ハチは展翅を行う必要はありませんが、趣味として美しく展翅するのは、同定には差し障りありません(ただし、同定の際に脚をずらされる可能性があることを承知ください、あるいは、これを避けるためにあらかじめ胸部側面が脚で隠れて見えなくならないよう、脚を少しずらすとよいでしょう)。
ここでは、一通りの標本作成技術について紹介します。なお、私はコバチやクロバチなどの小型のハチの標本作成経験が少ないので、ここではコマユバチ以上の大きさで、主にヒメバチ、ヤセバチ、ハバチ、有剣類などを対象にしています。
(コバチ類では、臨界点乾燥法という方法を用いることが多いので、作成する方は調べてみて下さい)
1)針を刺す際は、中胸盾板の中央より右に刺す
まず、針を用意します。虫に刺す針は幾つかの種類があり、良く使われるものとしては志賀昆虫普及社が生産している針(通称シガ針)、そして海外から輸入されているナイロンヘッド針があります。後者のほうが断然先が鋭く、スムーズに刺さる上、頭が掴みやすいので便利ですが、値段が高いこと(シガの倍)と長さが多少短い点が短所です。
刺す際には、中胸盾板の中央より右に刺します。小盾板などに刺してしまうと、同定できなくなることもありますので注意してください。
2)針が刺せない場合は、微針で刺すか、台紙に貼る、或いは針に直接貼る
貼る際には、私はボンドを使用していますが、ニカワを使用するのも良いかもしれません。ボンドは甲虫ではいろいろ言われていますが、少なくとも油がにじみ出ることが少ないハチに関しては一番良い接着剤かと思っています(ずれない、隙間にしみこまない、安い)。台紙はケント紙を切って作成した三角台紙を使用し、必要ならば先を折り曲げ、胸部の側板などに貼る方法もあります。三角台紙は10
mm幅くらいに切ったケント紙を斜めに切り、作成します。ちなみに、台紙が大きすぎたり、小さすぎたりすると不便なので、注意し、コバチやクロバチではもう少し小さいサイズの方が良いです。
多数の標本を作る時は、ボンドを針に直接つけ、蜂を貼り付ける方法があります。この場合、ボンドを針の周りに一周させるのがポイントです。そうしないとボンドが剥がれ落ちるリスクが大幅に高くなります。
針に貼る方法は大変作業効率が良く、マレーゼトラップのソーティングなどには絶大な効果を発揮しますが、同定依頼をする場合は、台紙にきれいに貼り付けたほうが観察がしやすいため、台紙に貼る方が望ましいです。また、ボンドは少ない方が虫の表面がよく観察できますが、少なすぎると台紙から落ちる可能性が高くなりますので、ある程度の量、しっかりとつけるべきです。
3)より良い標本をつくるために
可能であれば・・・大腮を開き、中体節側板が見えるように、脚を下方に伸ばし、触角挿入孔付近が良く見えるように、触角をやや前方に伸ばし、翅は半開きにして、細腰亜目なら前伸腹節を観察できるようにする(上の写真を参照)。以上の事が満たされていれば、研究標本としては十分です。
4) 翅が閉じており、開かない場合は、少し時間が経った後、やや乾燥してから開くと、綺麗に開きます。ただし、完全に乾燥してしまっている場合は破損することがあります。
5) もしも、脚や翅が取れてしまった場合は、台紙に貼り付けて、標本の下に刺します。
6) 針を刺し、展足をしたら、乾燥棚などで、乾燥させます。アメバチのように腹部等が下がってしまう種は、針で腹部や触角を固定して、乾燥させます。乾燥させる台としては発泡スチロール板などが便利です。
7) 標本を郵送する場合は、郵送用の小箱を購入するか、自作します。作り方はこちら。
・ラベルの作成
標本を作製した後は、ラベルをつける必要があります。これがない標本は標本とはいえません。作成は手書きの人もいますが、多くの場合、エクセルかワードが主流です。パソコンで印刷をする場合、文字はくっきりと印刷することを心掛け、大きすぎず、読める範囲で小さく印刷し、用紙はコピー用紙ではなく、やや薄めのケント紙(両面無地のはがき用紙がおすすめ)を使用します。
ラベルには下記の3点をかならず記入します。
1)採集地の正確な地名
地名は郵便番号検索のウェブサイトなどで調べることもできます。採集年は西暦で記入します。ラベルは将来的に博物館で使用する可能性などを考え、ヘボン式ローマ字で書くことが望ましいですが、私のラベルは日本人と外国人両方の利便性を考えて日本語、ローマ字併記です。
例:
(JAPAN) KANAGAWA Pref.,
Hadano City, Mt. Koubou-yama
秦野市弘法山
例2:
(JPN) Tokyo, Miyakejima Is.,
Ako 三宅島阿古
2)採集した年月日
月はローマ数字で記入する方もいますが、ⅦとⅧが判別しにくいので私はJulyやAugust (英語の月名)を使用しています。
例:19. JUNE. 2009
3)採集者
採集者はフルネームで書きます。名前の省略はよくある苗字では混乱をまねくので、なるべく避けるべきです。
他にも、私のラベルにはGPSデータ(WGS84を使用すべき)、おおよその標高を表記し、場合によってはトラップの名称や天気、得られた植物も記入したりしています。
よく出る略記:マレーゼトラップ(MsT.)ライトトラップ(LT.)採集(leg.)羽脱(em.)
例:Kyohei WATANABE leg. (MsT.)
データラベルとは別に、同定ラベルもありますが、ここでは詳細は割愛します。必要な点は、「誰」が、「いつ」同定したかを記入することです。
例:Det. Kyohei WATANABE 2016